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なぜ日本人がフェラーリをデザインできたのか~フェラーリをデザインした男・奥山清行が語るモノづくりの神髄(後編)

2017年6月29日

 日本が誇る工業デザイナーの奥山清行氏は、特に海外ではKen Okuyamaの名前で知られている。米ゼネラルモーターズのチーフデザイナーにはじまり、独ポルシェのシニアデザイナー、伊ピニンファリーナのデザインディレクターなどの要職を経て、2007年よりKEN OKUYAMA DESIGNの代表として独立。日本だけでなく世界中を飛び回る日々をつねに送っている。
 フェラーリやマセラティでカーデザイナーとして活躍していた奥山氏だが、現在はクルマのみならず、インテリアや都市計画まで幅広い分野を手掛けている。後編では、デザイナーとしての原点や未来のモノづくりにかける熱い思いについても語ってもらった。

(インタビュー・文=志村昌美、インタビュー写真=武田光司)

「TRAIN SUITE 四季島」はいかにして生まれたのか~フェラーリをデザインした男・奥山清行が語るモノづくりの神髄(前編)

奥山清行氏
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クルマにはすべての要素が詰まっている

――デザイナー名をKen Okuyamaにした理由は何かありますか?

奥山 アメリカに行って入った英語学校の先生が「クラスでは英語で発音し易いKenと呼ぼう」と言って勝手に決まったんです(笑)。その日以来、僕は皆からKenと呼ばれるようになりました。アメリカではミドルネームにしていて、クレジットカードから社員証まで全部Kenにしていましたね。

 アメリカで美術大学に入ったときに、最初のクラスで自分のサインをデザインしたんですが、それがまさか会社のロゴになるとは思わなかったです。でも、ちゃんとデザインしておいてよかったなっていまは思っています(笑)。それにしても、人が決めた名前が自分の会社の名前になるとは、不思議なものですね。

――3歳からクルマの絵を描き始め、高校生のときに悩んだ末にデザインの道を選んだそうですが、決め手になったのは何ですか?

奥山氏

奥山 高校は進学校でしたが、デザインというものを知らなくて、最初は絵が好きだから日本画家になろうかなとか、歯医者や船乗りもいいなと迷走していました。そんなときに、先生が「東京ではデザインが学べるらしいぞ」と教えてくれて、それがきっかけですね。アメリカのアートセンターカレッジオブデザインを訪問した時に、自分と同年代の連中が徹夜で目を真っ赤にしながら、僕の大好きなクルマの絵を描いたり、粘土で作ったりしている姿を見て、ものすごいジェラシーを感じました。漠然とデザインをやりたいというだけではダメだと。「自分は何をやってるんだ」と思って、ポートフォリオを作り直して、大学にも入り直して、カーデザイナーの道へ進むことにしたんです。

 クルマは飽きるほどやりましたが、クルマのいいところは、時計も家具もオーディオも建築的な要素もすべてがあるわけですよ。しかも、全体の彫刻的なフォルムも学ぶことができ、時計にしてもメガネにしても、クルマで得た知識をいまでも使えているので、クルマをやっていてよかったなと本当に思っています。米ゼネラルモーターズにはじまり、独ポルシェ、伊ピニンファリーナで仕事をしてきました。そして伊フェラーリのデザインを手掛けることになったのが、ピニンファリーナ時代でした。

【ピニンファリーナ】

 1930年に創業されたイタリアを代表するカロッツェリア(クルマのデザイン工房)。フェラーリのデザインで知られているが、マセラティやアルファロメオといったイタリア車をはじめ、日本車のデザインも手掛けている。デザインの分野はクルマだけでなく、船舶や電車から時計などの日用品までと幅広い。2006年のトリノ冬季オリンピックでは、聖火台とトーチのデザイン及び製造も行ったことでも有名。奥山氏は、デザインディレクターとして活躍し、多くのプロジェクトに携わっていた。

運命の15分に隠されたプロの極意

 奥山氏といえば、フェラーリが創業55周年を記念して製造、販売した特別なスーパーカー「エンツォ・フェラーリ」を生み出したことで知られている。なかでも、一度はフェラーリ会長からNoを突きつけられたピニンファリーナのデザイン案を奥山氏が15分で描き直し、見事に採用を勝ち取ったという「運命の15分」のエピソードは外せない。著書のなかでも、「どうしてプロがアマチュアに勝てるのかといえば、プロは常に量をこなし、来るか来ないかわからないチャンスのために常に準備するからである」と語っている。

【『フェラーリと鉄瓶』 奥山清行著(PHP出版社)】

 2007年に出版された奥山氏初の著書。ピニンファリーナ社を退職し、独立したのを機に、自らの経歴と海外、特にイタリアの文化とものづくりに触れながら、日本のデザインとものづくりについて語っている。奥山氏自身の考えるデザインの在り方を通して、「最高の価値」を生み出す方法を提言している。

一度与えられたチャンスは逃してはいけない

――人生でも大きな転機だったと思いますが、その経験から学んだことは?

奥山氏

奥山 物を作っているときって、何が名作になるかはわからないですし、プロジェクトの半分以上はつぶれるものです。なので、まさか自分がデザインしたクルマが創業者の名前が付いたエンツォ・フェラーリになるとは思ってなかったです。一度与えられたチャンスは逃してはいけないという思いもありました。なぜイタリアで日本人がフェラーリをデザインできたかというと、イタリア人のいいデザイナーがいなかっただけなんですよ(笑)。僕と同じくらい優秀なイタリア人がいたら絶対にそっちを採用していますから。

【エンツォ・フェラーリ】

 2002年にフェラーリの創業55周年を記念して、創業者であるエンツォ・フェラーリの名前がつけられたスーパーカー。生産台数は、399台という限定モデルで、販売価格は約7500万円。日本にも33台のみ正規輸入された。いまなおその人気は高く、中古価格でも1億円はするといわれているほど。奥山氏がピニンファリーナに在籍していた時代の代表作のひとつであり、「イタリア人以外で初めてフェラーリをデザインした男」として注目されるきっかけとなった。

奥山清行氏が描いたエンツォ・フェラーリのスケッチ
(画像提供:KEN OKUYAMA DESIGN)

――イタリアでは常にプレッシャーを感じていましたか?

奥山 毎日プレッシャーがあったので、昔の自分が出ているテレビとかを見ると顔が引きつっていて、本当に緊張して生きていたなと思います。ただ、イタリアというのはローマ時代から外国人が結構来ていて、外の文化を受け入れる素地があるので、アメリカよりも意外とオープンです。あと大切なのはイタリア語を話せて、イタリア料理を愛することですね(笑)。そうやって溶け込むことができると、「イタリア人ではないけれど、いい案を出すから採用するか」となるわけです。 それから、アメリカやドイツも契約社会ですし、自分で勝ち取っていくというスタイルが根付いている。それと比べると終身雇用が与えられた中にいる日本はまだまだ甘いなとは思いますね。

新しい世界観を持ったブランドを生み出したい

 奥山氏が大切にしているというデザイン哲学は、「モダン・シンプル・タイムレス」。これはイタリアでカーデザインの経験を積むなかで学んだことだというが、実は日本の文化が昔から持ち続けてきた価値観と共通しているのだという。

――次の世代まで残るデザインやモノづくりにおいて、欠かせないことを教えてください。

奥山氏

奥山 人は、価値があると納得できるものにはお金を出すものです。フェラーリもクラシックカーになればなるほど値段が上がりますが、いわゆるラグジュアリープロダクツというのは、買ったあとも価値が上がっていくものだと思います。それがラグジュアリー商品であり、ラグジュアリーブランドです。そうじゃないものは使えば使うほど価値が落ちていくような使い捨ての商品になってしまう。つまり、コモディティといわれるものです。人にはそれも必要なのですが、いますごく興味があるのは、その中間になるような商品。例えば、Appleの商品は30%くらい高い値段払ってでも買いたいなと思わせるものがある。僕はそれを「プレミアム・コモディティ」と呼んでいるんですけど、他よりも高くても人が喜んで買うようなコモディティの商品というのは本来日本が得意なところだと思います。だから、そういうものを作っていくと、自然と人も技術もブランドも次の世代に残っていく。価値が残り、高めていけるような世界観やブランドを作っていければと思っています。

 日本には、世界にここだけという職人技がいたるところにあるにもかかわらず、職人は自己満足のためにものを作ることがあります。それらは寸法や値段、パッケージをちょっと変えるだけで、グッと売れるようになったりする。僕のすべきことは、的外れの料理を作っているのをお客様が求める料理に仕立て直してあげるということだとも思っています。

――これほどまでにモノづくりを続けられる原動力になっているものは何ですか?

奥山 ただ好きだというだけですね(笑)。興味があってやっているうちにいつの間にか広がっていて、僕に共鳴してくれるメンバーが集まってこういう会社になった。趣味が仕事みたいなものです。絵を描くことは楽しいですし、そうしているうちに商品が生まれるということの繰り返しです。

モノづくりも街づくりも100年単位で考える

 「フェラーリのデザイナー」というだけではなく、「人の暮らしを助け、豊かにする何かを作った人」として名を残したいという奥山氏。最近は、「社会システムデザイナー」と名乗ることがあるという。

――「社会システムデザイナー」とは聞きなれない言葉です。どんな仕事をイメージすればいいのですか。

奥山 いまは自分がやりたいことがだんだん大きくなってきていて、都市計画や飛行機にも最近は興味を持っているところです。「社会システム」という言い方が正しいかどうかは別として、僕が言いたいのは、トータルで街ができているということです。つまり、最初は地場産業の振興から始まって、人が育ち、売り方までを含めてブランドの使い方やライフスタイルが出来上がってくると、街が潤いますよね。そうなると、今度は商店街の作り方まで関係してくるので、結局は全部繋がっている。そうやってすべてやっていくと、「僕らは産業や人の暮らしを作っているんだ」というところにたどり着きますよね。ただし、問題は日本のいろんな業界や産業が、細かく分かれていることだと思います。

 以前、ルイ・ヴィトン日本法人の社長と話したときに、「うちはカバン屋ではないですよ」とおっしゃっていました。ただ高額なバッグを売るだけではなく技術があり、財布やキーホルダーといったものも同じ職人が同じ技術で作っている。それらに一貫しているのは、「豊かな旅を彩る商品を提供する」ということ。それを聞いてなるほどと思いました。うちはカバン屋だとかクルマ屋だと言ったらそこで終わっちゃうんですよ。つまり、自分たちの哲学や、これまでの歴史、そして職人技といった一本筋が通ったものを組み合わせながら、トータルでひとつのことを表現していくという考え方がすごく大切だなと思っています。

【『100年の価値をデザインする』 奥山清行著(PHPビジネス新書)】

 2013年に出版された奥山氏の近著。世界中を飛び回りながら活動を続ける奥山氏が、日本人のセンスとはどんなもので、それを引き出すためにはどうすればいいのかを説いている。個人が世界で活躍するために、そして日本のものづくり復活のために、数多くの示唆を与えてくれる一冊。

夢は未来のカタチを作るためにある

――街づくりについても、今後の展望があればお聞かせください。

奥山氏

奥山 人と言うものは、動いて初めて生活できるんですけど、動くということを観点に街づくりをされたことは意外とないんですよ。ところが、いまはクルマじゃないと移動できない地域というのもたくさんあって、クルマが街を破壊している現状もあるのです。正直言って僕はクルマのそういう側面は好きではありません。これから自動操縦になって、次の世代になると街づくりもいまと変わりますが、いまの時代のクルマに合わせて美しい街を壊さないで欲しいという思いがあります。街づくりというのは、最低でも100年単位で考えなければいけないのに、クルマはまだ生まれて100年程度です。そのなかでも、20年ごとに技術がどんどん変わっていて、いまも技術革新の真っ最中です。しかし、そんな発展途上の技術に合わせて街や人の暮らしぶりを変えてはいけないのです。僕はそんな近視眼的で人工的な街づくりが耐えられないので、そんなときこそデザインの出番だと感じています。

 「お客さま、社会とコミュニケーションする車両」ということをコンセプトにしてデザインした山手線新車両でも同じことが言えるかもしれませんね。これからのホームでは、お客さまの安全を守るためにホームドアの設置が一般的になってきます。そんな社会のニーズに合わせて、社会システムとしてのデザインが重要になってくるのです。ホームに入ってきた瞬間に、ホームドアがあってもドアの位置がわかるように縦のラインカラーを入れてみたり、混雑がひどい山手線でも車内の視野を広く快適にするために中吊り広告を無くしてデジタルサイネージとして液晶を増やしたのがこの新型山手線です。ちなみに、フロントの部分はスマートフォンの形を意識しているので、全面を大きなLEDにして、画像や行き先がパッと見えるようにもしたかったんですが、残念ながらコストと安全上の問題でできませんでした。でも、後ろの上の部分にだけ液晶を付けていて、季節や行き先によっていろんなアニメーションを入れているのでぜひ注目していただきたいですね。

【JR山手線E235系】

 2015年秋から運行開始されたJR山手線E235系は、KEN OKUYAMA DESIGNがデザインした。「お客さま、社会とコミュニケーションする車両」をデザインコンセプトに、前面の大きな窓や表示装置で、人と人、人と社会を繋ぐ情報の窓を表現。また、中吊り広告の代わりにデジタルサイネージが設置された内装は、室内を広く見せるばかりではなく、アニメーションやインターネットとの連携など次世代の新しい広告表現を可能にしていると注目を集めている。

JR山手線E235系
フロントの部分はスマートフォンの形を意識。ドアの位置がわかるように縦のラインカラーを入れた。(画像提供:JR東日本)
内装には、中吊り広告の代わりにデジタルサイネージが設置された。(画像提供:JR東日本)

 最近では石巻市の復興計画にも参加していますが、街の人たちと合意形成しながら進めるというのは非常に大きなハードルです。やっぱりデザインによる街づくりは大変だと痛感しています。でもそれを一つひとつ乗り越えていかなくてはならない。「夢を失ったら意味がない」という話をよくしますが、それは未来のカタチを作るためであり、それだけ社会システムとしての街をデザインしていくことは魅力があることだと思っています。


【プロフィール】

奥山 清行(おくやま きよゆき)Kiyoyuki Ken Okuyama
工業デザイナー / KEN OKUYAMA DESIGN 代表


奥山清行氏

 1959年山形市生まれ。米ゼネラルモーターズ社チーフデザイナー、独ポルシェ社シニアデザイナー、伊ピニンファリーナ社デザインディレクター、米アートセンターカレッジオブデザイン工業デザイン学部長を歴任。
 2007年よりKEN OKUYAMA DESIGN 代表 として、山形・東京・ロサンゼルスを拠点に、デザインコンサルティングのほか、自身のブランドで自動車・インテリアプロダクト・眼鏡の開発から販売までを行う。 2013年ヤンマーホールディングス株式会社取締役に就任。2013年から2016年には有田焼創業400年事業「ARITA 400project」プロデューサーを務めた。滋慶学園COMグループ名誉学校長、金沢美術工芸大学名誉客員教授、アートセンターカレッジオブデザイン客員教授、山形大学工学部客員教授を務める。
 『フェラーリと鉄瓶』(PHP 出版社)、『伝統の逆襲』(祥伝社)、『人生を決めた15 分 創造の1/10000』(KEN OKUYAMA DESIGN)、『100 年の価値をデザインする』(PHP ビジネス新書)など著書があるほか、講演活動も行う。