隈研吾氏が給費研究員として滞在した米国から帰国し、自分の設計事務所を開いたのが1987年。この年、米国ではブラックマンデーで株価が大暴落。一方、日本では日経平均株価がはじめて2万円を突破した。日米のバブルを知る隈氏に、建築にとってバブルとは何だったのかを聞いた。隈 いろいろな切り口がありますが、ひとつは建築の分業が確立した時代だったと言えます。(77〜78ページ掲載記事から抜粋) *テキスト版記事の文字数:2968文字
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